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日本三大松原とは?



マツが生い茂る林のことを言う。海岸沿いに多く見られる。
このうち、静岡県静岡市清水区(旧清水市)の三保の松原、福井県敦賀市の気比の松原、佐賀県唐津市の虹ノ松原の3ヶ所は日本三大松原に数えられています。
このページでは、その日本三大松原を紹介します。


三保の松原(静岡県静岡市清水)

羽衣伝説で有名な三保の松原は、平安の昔から景勝の地とされ、白砂青松にそそりたつ富士を眺めに多くの人が訪れます。
浜は天女が舞いおりたとされる羽衣の松と呼ばれる樹齢約650年の古松があり、近くの御穂神社には、羽衣の切れ端が保存されています。
また周辺の海岸にはレジャー施設が整っていて、一年を通じて楽しめます。

~三保の羽衣伝説~

々のおはなし。三保の村に伯梁という漁師が住んでおりました。ある日のこと、伯梁が浜に出かけ、浦の景色を眺めておりました。ふと見れば、一本の松の枝に見たこともない美しい衣がかかっています。しかし、あたりに人影はありません。誰かの忘れ物だろうと、伯梁が衣を持ち帰ろうとしたそのとき、どこからともなく天女があらわれてこう言いました。『それは天人の羽衣。どうそお返しください』ところが、それを聞いて伯梁はますます大喜び。『これは国の宝にしよう』とますます返す気配を見せません。
ると天女は『それがないと私は天に帰ることができないのです』とそう言ってしおしおと泣き始めます。さすがに伯梁も天女を哀れに思い、こう言いました。『では、天上の舞いを見せてくださるのならば、この衣はお返ししましょう』天女は喜んで三保の浦の春景色の中、霓裳羽衣の曲を奏し、返してもらった羽衣を身にまとって、月世界の舞いを披露しました。そして、ひとしきりの舞いのあと、天女は空高く、やがて天にのぼっていったといいます。頃は十五夜。それは月明かりが美しい宵のことでした。



気比の松原(福井県敦賀市)

敦賀湾の奥に面する部分のうち西側半分がこの松原です。400,000m² の広さの中に17,000本の各種の松が並び、夏には浜辺が海水浴場として賑わいます。日本における海岸の松林はクロマツが多いが、気比松原ではアカマツが85パーセントを占めています。江戸時代以来松原は敦賀および北陸の名勝として知られてきたほか、今日では日本の白砂青松100選にも指定されています。

夏になれば近畿や中京からの海水浴客で賑わいを見せます。また日本海一と自称する花火大会とそれに伴い行われるとうろう流しの会場にもなると人でごった返します。冬には松林一体が雪化粧されて美しく、日本海の荒波ともあいまった壮麗な風景となります。普段は静かでひっそりとした場所です。松原の中には散策路がめぐらされてます。


~歴史~

9世紀には、石川県羽咋郡志賀町福浦港の福良津と共に渤海使の為の使節松原客館が置かれた。古来より氣比神宮の神苑として神人が近隣住民の利用を管理していたが、1570年の織田信長の越前攻略により氣比神宮の所領などが没収され、このときに松原も没収された。江戸時代には小浜藩の御用木(藩有林)となり、近隣住民は藩への納税によって燃料となる松葉採集を行ってきた。松原はこうした管理によって後世へと残った[1]。

明治以降は官有林となり、1899年に国有林野法制定とともに国有林となった。現在、潮害防備保安林および保健保安林に指定され、林野庁福井森林管理署によって保護管理がなされている。



虹の松原(佐賀県唐津市)

 唐津市から浜玉町までの玄界灘に面した海岸線に沿って幅約500m前後,長さ4.5kmにわたる松原(面積240ha)が続く。クロマツを中心とする松原で,樹齢数百年を越える老木から幼木にいたるまで約100万本を数え,松原内を通る国道は,緑のトンネルの様相を呈し,特異な雰囲気を持つ。
 この松原は,17世紀初め唐津初代藩主寺沢志摩守広高の時代,新田開発のため,自然林に植林を加えたのが始めといわれ,藩政時代は「二里の松原」などと呼ばれた。
 虹の松原は,今日まで防風・防砂防潮林として保護育成されてきた。冬,海からの強い季節風の吹きつけのため,変化に富んだ枝張りを持つ松が多く,また松原にまつわる七不思議などの逸話が残る。明和8年(1771)には,富田才治を指導者とする虹ノ松原一揆の舞台ともなった。
 唐津城や鏡山からは,松原全体が見渡せ,弧を描く砂浜青く広がる海とともに大パノラマの展望がひらけ,典型的な白砂青松の景観を見せる。



どの松原も素晴らしい場所ですよ!
機会があればぜひ直接行ってみてくださいね☆



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